| それは1994年のこと。11月に長男が生まれ、初のクリスマスは幸せの絶頂のはずだった。それなのに、クリスマスイブはファミレスの片隅で涙涙…、陽気なクリスマスソング、華やかなイルミネーション、周囲の家族連れやカップルの幸せな笑顔もみーんな涙を誘う材料にしかならなかったあの夜。それが私の生涯忘れられない悲しいクリスマスだ。
産前産後を実家でぬくぬくと過ごし、自宅アパートに戻ったのが12月中旬。その頃からなぜかコンコンと咳が止まらない長男。熱はないし、病院でかえって病気をもらっても…とちょっと様子を見ていたものの、やはり心配になって病院に連れて行ったのが22日。そこで小児科の先生に「お母さん、なんでもっと早く連れてこないの!熱がなくても百日咳って怖い病気があって、1ヶ月の子どもなら命にかかわるんですよ!」「ミルクを飲まなくなったら、迷わず救急車を呼びなさい!」とかなりの勢いで叱られ新米ママは奈落の底へ。ミルクを飲まなくなったらって言われても、長男はミルク嫌いで哺乳瓶を受け付けず、おっぱいオンリー。おっぱいには目盛りがないから、どんだけ飲んだかわかりゃしない…などと言えるはずもなく、トボトボ帰ってきた。その後も激しく咳き込むことはないけれど、コンコンと小さな咳は続く。
そして24日夜、ダンナはクリスマスイブというのに会社の忘年会だからとシャワーを浴びてソワソワと出かける準備中だった。でも、長男は昼間より苦しそう。小児科の先生の言葉が頭をよぎり、救急病院に電話すると「すぐ連れてきて!」という返事。まだ忘年会へ未練タラタラだったダンナを半泣きになりつつ説得して病院へ飛びこんだ。すると非常にも「即、入院」。そのまま小さな身体に点滴をつけられ酸素テントの中へ。しかも、完全看護だからご両親は「お帰りください」。あまりの出来事に頭の中は「なんで」「どうして」がぐるぐる。早くも母親失格のレッテルを張られ、今の不安、将来への不安もぐるぐる。そうして、夕食もまだだった新米パパママは、とりあえずファミレスに入ったものの周囲のクリスマスムードにさらに悲しみを増幅されてしまったのだった。その後の経過は順調で、お正月前には退院。新米ママには厳しい洗礼だったけれど、健康のありがたさ、子育ての責任を強烈に実感させられた忘れられないクリスマスだった。(写真は今年の13歳の誕生日)
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